

基礎

百年からの年月が経過しますと、柱の不動沈下・傾斜・建具の建て付け等が悪くなります。
現在では、住宅に用いられる鉄筋コンクリートの布基礎を柱の周囲にめぐらし、その上に礎石を据え付ける方法があります。
この場合、重要な事はコンクリートを地盤より下方に設定し露出せず建物との調和を保つ事が大事です。

木材

桧は、幕府の御禁制となり、用いる事は厳しく禁じられておりました。
これらの木材の運搬には、かなりの仕掛けと労力が必要としますので遠方からの経路より比較的近くの里山あたりで調達したものと思われます。
製材は、木引職人が「大鋸」と言う大きなノコギリで、大工の木拾いからいろいろな大きさに製材しました。
現在の機械引きと違い、木の目を見ながら引くものですから木材の狂いも小さく製材することが出来ました。
現在では、杉・桧は造林材が主流であり、大経木の木材になりますと北米産の外材が一般的なようです。

大工

この関係は、一生涯続くもので職人を育てる環境としては実にうまく機能していたものと思われます。
職人の仕事は、100%手仕事であり柱を建て染や桁をつないで行く、軸組構造ですから棟を上げるまでは釘や金物を殆ど必要とせず組み立てる事が出来ました。
木材の長さや形に制限がありますから、材と材を継ぐ為に色々な種類の仕口と言う継手が発達しました。

屋根

建造当初は、茅葺屋根のようでして雨漏りがしてきたので、茅を降ろして間に合わせで瓦や金属屋根を葺くものですから茅の厚み分だけ軒の出が足りなくなり雨が柱の足元にはねかえる事により腐朽が始まるようです。
茅葺で屋根を葺くには、大勢の動員が必要で地域の瓦助的な組織が必要になります。戦後の経済発展と共に茅で屋根を葺き替えるのは容易でなくなりました。

屋根がひとまわり大きくなり全体の姿・形も正常な状態になります。
実際の修理工事では、木の下地で藁葺の仕上がりを作り、銅板等の金属で葺く手法があります。
江戸時代の中期以降一般庶民の信仰に支えられた社寺建築が全国各地に沢山建てられましたが、瓦葺は江戸時代で今の様な桟瓦が発明されましたが、全国的に普及する様になったのは明治中頃からの様です。
その反面、茅葺屋根は、この時代主要な屋根として重要な地位を築いていた様です。
尚、神社等の社殿では、板葺や檜皮葺が伝統的に続いていました。



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外寸 縦 2尺(60cm)× 横幅 4尺(120cm)
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